【事故】日本で起きた過去最大の犠牲者が出た墜落事故・・・何故この事故が起こってしまったのか・・【ゆっくり解説】

▼事件概要
123便東京国際空港羽田空港)発大阪国際空港伊丹空港)行きの定期旅客便で、伊豆半島南部の東岸上空に差し掛かる頃、機体後部の圧力隔壁が破損、垂直尾翼と補助動力装置が脱落し、油圧操縦システムを全喪失、操縦不能に陥り迷走飛行の末、18時56分30秒ごろ群馬県多野郡上野村高天原山の尾根(標高1,565メートル、通称御巣鷹の尾根)に墜落した。

乗客乗員524人のうち死亡者数は520人、生存者は4人であった。この数字は2020年(令和2年)4月時点で単独機の航空事故の死亡者数として世界最多である。テロ事件などを除いた航空事故でも1977年に発生したテネリフェ空港ジャンボ機衝突事故(死者583人)に続く世界2番目の死亡者数である。

夕方のラッシュ時とお盆の帰省ラッシュが重なったことなどにより、著名人を含む多くの犠牲者を出し、社会全体に大きな衝撃を与えた。特にこの事故を指して『日航機墜落事故』『日航ジャンボ機墜落事故』と呼ばれることもある。

1987年(昭和62年)6月19日、運輸省航空事故調査委員会(以下、事故調)は事故調査報告書を公表した。1978年(昭和53年)6月2日に伊丹空港で起こした「しりもち事故」後の、ボーイングによる圧力隔壁の不適切修理による破損が事故原因と推定されている。

事故原因を巡っては様々な疑問点や異説が提起されていたため、事故調の後身にあたる運輸安全委員会(JTSB)は報告書公表から24年後の2011年(平成23年)7月29日、事故調査報告書の解説書を公表した。

JAL123便として羽田空港を18時00分に出発、離陸後は南西に進んだのち、伊豆大島から西に巡航、和歌山県東牟婁郡串本町上空で北西に旋回、伊丹空港には18時56分に到着する予定であった。

 

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